なぜ完全なインハウス化は困難なのか?3つの立場で見えた現実
私は広告代理店でマネージャーを務めた後、事業会社でマーケティング責任者としてインハウス化を推進し、現在はマーケティングコンサルタントとしてクライアント支援を行っている。代理店・事業会社・コンサルという三つの異なる立場を経験したからこそ見えてきた「インハウスマーケティング」の現実がある。
「インハウスなら自由度が高く、スピード感を持って施策を回せる」。代理店時代、私も事業会社のマーケターに対してそんなイメージを抱いていた。確かにそれは一面では正しい。しかし実際にその立場になってみると、想像していなかった課題が次々と現れた。
現在多くの企業がインハウス化を検討する中で、理想と現実のギャップを事前に知っておくことは重要だ。私の体験を通じて、インハウスマーケティングの本当の姿をお伝えしたい。
情報格差という見えない壁
代理店時代、私は媒体窓口部署のマネージャーも兼任していた。そこでは専門チームから媒体の最新情報が常に全社共有される仕組みがあった。新機能のβ版情報や業界動向も、その連絡を追っていれば自然と把握できていた。
ところが事業会社に移った瞬間、そのメールが来なくなった。当然といえば当然だが、改めて「自分で媒体社との関係構築から始めなければいけない」ということを痛感した。
私は代理店時代の経験を活かし、信頼できるサイトの定期チェックや代理店の知り合いを通じた担当付けの交渉、媒体が発信するメールの確認などを行った。しかし媒体からの直接情報は、代理店がキャッチするタイミングより明らかに遅かった。
これは情報の優先度の問題だ。媒体社にとって、大きな予算を動かす代理店と個別の事業会社では情報提供の優先順位が異なる。β版の案内も、まずは大手代理店や大きな予算の広告主から声がかかる。
代理店にいた頃は「事業理解が深いから、インハウスの方が自由に施策を考えられるはず」と思っていた。実際、事業理解は確実に深まった。しかし、同時に業界全体の動向や他社の取り組み事例など、外部情報へのアクセスが制限されることも実感した。
情報格差は想像以上に大きく、これまで当たり前に得られていた情報を自分で取りに行く必要があることを身をもって理解した。
属人化が招く深刻なリスク
事業会社でマーケティング責任者として働く中で、もう一つ大きな課題に直面した。属人化の問題だ。
私自身が退職する際、引き継ぎ先となる運用経験者がいなかった。結果的にクリエイティブ担当の方にお願いすることになったが、窓口業務は引き継げても運用スキルまでは引き継げない。
運用を理解していない人に引き継いでも調整の精度は変わってしまう。何より代理店が提案してくることが適切なのか判断できない状況に戻ってしまう。これでは、せっかくインハウス化を進めた意味が失われてしまう。
現在コンサルタントとしてクライアント支援をする中でも、この問題は深刻だ。完全に「誰もわからない」状況になるのは稀だが、担当者が引き継ぎもせずに突然退職してしまった時は本当にクリティカルな状況になる。
実際に私が目にした「まずい状況」では、タグが正しく埋まっているかわからない、どういう運用調整をしていたのかまったく分からない、トラッキングも間違っているといった技術的な部分がブラックボックス化していた。このような状況になると、アカウント全体を一から紐解く作業が必要になり、膨大な時間とコストがかかる。
代理店であれば担当者が退職しても最低限の運用スキル・知識は担保され、引き継ぎの仕組みも整っている。しかしインハウスでは、たった一人の退職が事業に大きな影響を与えるリスクがある。
支援側から見える構造的な課題
現在、経営者の方からインハウス化の相談を受ける際、私は必ずキャリアプランについて質問する。「担当者の次のキャリアステップは考えられているか」「本当にインハウスにしたいのか」と。
なぜなら代理店でも事業会社でも、運用現場の担当者が抱える悩みは共通しているからだ。「ずっと運用の細かいことばかりやっていて、キャリア形成ができない」「いつまでこの業務を続けるのか不安」という声を私は何度も聞いてきた。
事業会社の場合、その担当者が次にどのようなキャリアを歩むかが設計されていないと結局は退職につながってしまう。経営者がキャリアプランを考えられていないのであれば、インハウス化は非常にリスクが高い。
加えて、代理店では「専門家」として任せてもらえる裁量も、事業会社の若手には同程度に与えられるとは限らない。広告費の予算、目標CPA、施策実行を任せてもらえたとしても、インハウスでは横に相談できる専門性の高い同僚がいない。孤立感を感じながら判断を迫られることも多い。
さらに、せっかく任せてもらえても、実際には「どの媒体にいくら使うか」といった細かい部分まで承認が必要になってしまうケースも見てきた。これでは、インハウス化のメリットが半減してしまう。
理想的なインハウス体制を作るには、常に2人以上の担当者を配置し続けられる体制と、インハウスチームの組織構築を戦略的に考えられるマネージャーが不可欠だ。しかしそのようなマネージャーの採用は容易ではなく、その役割を外部に求める相談も増えている。
そして今、AI活用による効率化という新たな可能性も見えている。自動化によって属人化リスクを軽減できる可能性がある一方で、AIの活用方法やロジックが引き継がれなければさらなるブラックボックス化を招くリスクもある。
インハウスマーケティングは確かに魅力的だが、表面的な期待だけで進めるべきではない。情報格差、属人化、キャリア設計といった課題を事前に理解し、それらに対する具体的な対策を講じた上で取り組むことが成功への近道だと私は考えている。
著者情報
KENGO MATSUO
Marketing Strategist / Consultant
業界歴17年以上。デジタルマーケティング戦略設計・運用型広告(月額広告費10万円から数億円まで)を中心に支援。新規事業のテストマーケや計画設計も含め、様々なフェーズの支援を経験。
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