なぜAIを否定するオウンドメディア担当者は、機会損失していると思うのか

先日、オウンドメディアの運営についてご相談いただいた際、AI活用に対して否定的なご意見をいくつかいただきました。具体的には、「コンテンツの品質が下がる」「熱量のない記事ができる」「一次情報を収集できない」といったものです。

かつての私も同様の考えを持っていましたが、実際にAIを活用したオウンドメディアを運用するなかで、その認識が大きな機会損失であったと痛感しています。

本記事では、AIに対して否定的な見解が生まれる理由を掘り下げつつ、AIと人間の適切な役割分担を理解することでどのような可能性が広がるのか、私なりの考えをお話しさせていただきます。

ただし、ここでお話しすることは、AIを否定する方を批判するものではなく、あくまで私の経験に基づく見解です。また、私自身もAIを専門的に扱っているわけではないことにご注意ください。

AIを否定された方の考えと思うこと

冒頭でお話しした方は、以下の3つのご意見を述べられました。

「AIを使うとコンテンツが低品質になる」

これは確かによく聞く話です。しかし、詳しく伺うと、「AIが収集した情報のみでコンテンツを作る」「コンテンツ制作の工程を省略する」といった、いわゆる手抜きツールとしての使い方を想像されているように感じました。実態と印象に違いがあるな、というのが正直な感想です。

「熱量が乗らない記事になる」

これは確かにそうかもしれません。AIが生成した文章には、人間が感情を込めて書いた文章とは異なる部分があるのは事実です。アウトプットの視点だけでなく、感情を込めて作った文章には、その後の行動や心理状況の変化が生まれたりします。

なので、人が書くべきこととAIが作るべきことは、きちんと分けるべきだと考えています。

ただ、だからといって「AIは全て否定」という結論に至ってしまうのは、少しもったいない印象があります。

「一次情報を収集できない」

「AIを使ったら転がっている情報しか集められない」という考えも理解できます。

確かにAIは、公開されている既存情報を基に一次情報を収集します。しかし、一次情報を収集できるのは編集者やライターに限られる、というのも、状況やシチュエーションによっては本当にそうなのかは懐疑的に思えます。

私が話を聞いて率直に感じたのは、これらの意見の背景に「人 vs AIの対立構造」で考えてしまう思考パターンがあるのではないか、ということです。

「人 vs AIの対立構造」が生まれる理由

なぜその方は「人 vs AIの対立構造」で考えてしまったのでしょうか。

私の経験を振り返ってみると、AIに過度に責任を任せていることと、これまでのやり方の延長線上で考える癖が原因だったと思います。

世の中では、「デザインが、サイトが、コンテンツが、戦略が、アプリが、1行のテキストでAIが作れる!」といった情報が飛び交っています。そのため、AIを万能でなんでもできる、素晴らしいアウトプットが瞬時に生まれるものだと考えている方もいらっしゃいます。

しかし、そんなことはありません。ビジネスの現場は試行錯誤の連続です。

また、自身の仕事のしやすさばかりを考え、プロジェクト全体のゴールや目的に沿って使う視点を持てていないという点もあるかもしれません。自分がより効率的に仕事ができる、という「点」だけで考えると、視点が限定的になりすぎてしまうと考えています。

実際、(あくまで現時点では)AIはただのツールだと私は思っています。PowerPointやExcelと同じカテゴリーです。そのため、使い方次第であらゆることができたり、できなかったりします。

PowerPointとKeynoteの対立構造はあるかもしれませんが、今、「手書きかPowerPointか」という対立構造はないでしょう。それと同じで、考え方のグラデーションが必要であり、AIの可能性をあらゆる視点で見ることが重要だと考えています。

ダサい資料を作ったら誰の責任?アウトプット責任の所在

私がAIとの向き合い方を考えるとき、いつも思い出すのがこの例えです。

PowerPointを使ってダサい資料ができたら、誰の責任でしょうか?

答えは当然、作った人です。PowerPointというツールのせいではありません。

これと同じで、AIを使って低品質なコンテンツができたとしても、それはAIの責任ではなく、使った人の責任なのです。低品質なコンテンツにしかならない作り方をした人が悪い、ということです。

部下に仕事を教えて、期待通りの成果が出なかったときのことを考えてみてください。もちろん部下にも責任はありますが、上司としては「私の教え方が悪かったのかな」と考えますよね。これも同じことです。

アウトプットの責任は、常に人にあります

この前提で考えると、「AIのせいで品質が下がった」という発想自体がおかしいことに気づけます。

低品質になったのは、暗黙知や一次情報をAIに渡せていないから。試行錯誤したインプット情報をもとに、理想的なアウトプットになるように調整していないからです。すべて、使う人の責任だと考えています。

ただし、これは「すべてAIで完結しよう」という意味ではありません。人がやった方がいい部分、AIでやった方がいい部分を適切に判断して組み合わせること。そして、AIが作ったアウトプットを人が最終チェックすることは必要ですし、修正することは多々あるでしょう。

重要なのは、その修正がどれだけ少なくて済むか、求めているものにどれだけ近いアウトプットを出せるかを追求することだと思います。

優秀な新人が入社したら構造から見直す。AIも同じという話

また、私がAIの可能性について考えるときに、よく使うのがこの例えです。

自分の部署に、非常に優秀な人材が入ってきたとしましょう。

たとえば営業なら、平均月3受注だったのが、その新人は30受注をとれるポテンシャルがある。ライターなら、編集長がOKを出すコンテンツを月10本作れたら良い方だったのが、50本作れるポテンシャルがある。

そんな優秀な人材を活かそうと思ったら、そもそも今の部署のあり方から見直そうとなりませんか?構造から変える方が、部署全体のパフォーマンスを最大化することにつながっていくと思うのです。

しかし、既存の構造のまま運用すると、平均3受注に沿ったことしかできない、10本しか作れない、といった結果に終わってしまいます。せっかくのポテンシャルがもったいないですよね。これと同じことが、AI活用でも起きていると思うのです。

AI vs 人間の構造で考えてしまうと、優秀な人材(AI)を活かしきれないで終わってしまう。本来なら、AIという優秀な「人材」がどういうことができるのか、いろいろ試してみたり、それに合わせて部署の個々の部分を変えてみたりするのが自然です。

AIの可能性をきちんと見て、本当に企業やビジネスにおいて何がベストなのかを考える。どうあるべきかを考える。

ここもまた、グラデーションで捉えることが大切だと思います。人がアウトプットの責任を持つ以上、やり方は企業や人それぞれで良いのです。ただし、可能性を最初から切り捨てるのは良くないと思っています。

非ライターを「ライター化」する仕組みを作ってみた結果

実際に私たちが取り組んでいる事例をお話しします。

THE MOLTSでは、シニアコンサルタントやプロジェクトマネージャーなどといった現場で活躍する非ライターのメンバーでも(現時点ではまだクオリティは低いですが)コンテンツを作れる仕組みを構築しました。

実はこの記事も、その仕組みを使って作成しています。言ってみれば、AIで作っています。

具体的な仕組みは以下の通りです。

  1. まず作りたいコンテンツをきちんと定義する
  2. その人が気になるテーマや職種に応じて、企画案が複数提示され、修正したり選んだりする
  3. 定義された企画に沿ったコンテンツになるよう、AIがインタビュイーとしてテキストで会話しながら情報収集する
  4. 収集した内容から、弊社らしいAIが編集をかける
  5. 出来上がった内容を保存する

出来上がるコンテンツのパターンやメンバーに合わせて数パターンあるのですが、この一連の流れをコンテンツ納品までAIにナビゲートしてもらうことで、ライターではないメンバーでも、ある一定レベルのコンテンツを作れるようになりました。

参考事例として、以下のコンテンツがあります。

実際に10人のメンバーで試してみたところ、1週間で1本のペースでやってみて、と指示したら、20本のコンテンツが上がってきたのです。これを普通に書いてもらったら「1ヶ月に1本でも苦痛」と言われるような作業なのですが、依頼以上に皆自主的に作ってくれました。

つまり、みんな普段思っていることをコンテンツ化するのはハードルが高かったけれど、思っていることがコンテンツ化されること自体はすごく楽しい、ということがわかりました。

作ったコンテンツのURLを共有し、認識合わせをしたり、社内での情報共有も格段にスムーズになりました。

これまでは、編集部主体で企画を作って、取材して、調整して、ライティングして、という流れでコンテンツを作っていました。それはそれで良さがありますし、全く否定していませんし、今でも行っています。

しかし、それ以外に、みんなで作っていくということができるようになったのです。つまり、AIの仕組みで非ライターをライター化することができたと思っています。(クオリティはこれからどんどん上げていかなければならないですが……)

tacit design — 暗黙知を利益に変える考え方

オウンドメディア運用と同時に今実践し始めているのは、「tacit design」— つまり、暗黙知を利益に変えていくスキームの構築です。

具体的には、出来上がったコンテンツ、またはコンテンツを抽象化したデータとして蓄積します。そのデータを集約し、提案書や次のプロンプトへの活用、プロンプトのブラッシュアップ、ほかのコンテンツへの連携、教育システムへの連動などに活かしていく。

そこから売上をどれだけ上げられたのか、原価をどれだけ下げられたのか、という視点で考えていきます。

従来のアウトプットをベースにした考え方だと、たとえば、採用担当者が採用コンテンツを、営業が提案資料の改善を、マーケターがSNSの投稿やコンテンツSEOを、教育担当が教育資料を、といったようにその部署のメンバーが情報収集からアウトプットまでを担当することが一般的だと思います。

ただ、AIを活用すると、作るべきものの大部分はインプット情報がベースになると思うので、みんなで作って出来上がったコンテンツを、部署や役割を超えて異なるアウトプットに変えることができる側面があります。

私は、プロフェッショナルが運営するオウンドメディアも大好きです。日々勉強になります。

しかし、私は、会社のメンバーみんなでオウンドメディアを作っていくスタンスも好きです。

最初はみんなライターじゃないから全然ダメでも、徐々にみんな成長して、私が思い描いていた枠組みを超えて、すごい成果や結果が生まれていく。こういった、部活みたいな空気感が出来上がっていくのが好きで。「最初全然ダメだったけど、なんか俺たち、どんどん強くなってない?あれ、甲子園行けるかも!」みたいなサクセスストーリーです。

そういうスタンスをベースにしているため、これまで表に出てこなかった現場の知見や経験、つまり各メンバーが持つ暗黙知を、AIの力を借りて皆が自由にコンテンツ化し、それを事業の成長につなげていくという一連の流れが私には非常にうまくはまっています。

あくまで一つのケースでしかないですが、何が言いたいかというと、これまでだと難しかったことが、AIを使うようになってどんどんできるようになっている、ということです。

tacit designは考えたことがあったのですが、実現できるイメージがなかった。これが、できるようになった。そう思えただけで、機会が生まれている。

もしAIを使っていなかったら、私は今の機会を得られていなかったでしょう。そう考えると、ゾッとします。

さいごに

AI活用について考えるとき、私が「最も」大切にしているのは、「可能性を最初から切り捨てない」「バイアスになっている思考を捨てて、どれだけ目的や目標に対して向き合うかを考え続ける」「一新卒として、とにかく学び続ける」……ことです。

「最も」が何個あるのか分からないくらい、今は毎日がごちゃごちゃしています。もう、大変。

でも、作りたいものがあったり、ビジネスとしての新しい価値が生まれていく、これまで以上のバリューが生み出せそうなど、やっぱり可能性を見始めたらワクワクが止まらなくなりました。

重要なのは、AIという優秀なツールであり、パートナーであるとした上でどう活かすか。そして、人間が責任を持って、適切な役割分担をしながら、より価値の高いアウトプットを生み出していくか、と思っています。

私たちの取り組みは、まだ始まったばかりです。毎日が学びの連続で、当然、改善点もたくさんあります。しかし、非ライターのメンバーが生き生きとコンテンツを作っている様子を見ていると、「これはこれでいいあり方だな」と思っています。

とはいえ、AIを使えと煽るつもりは毛頭ないです。ただ、AI vs 人間という対立構造だけの視点になると、やはりもったいない。

「そんなこと言わずに、さまざまな可能性に挑戦し、まだ見ぬ景色を目指しましょうよ」と、私はそのとき言いましたが、もし今同じような意見を求められたとしても、これからも同じことを言い続けると思います。

著者情報

TAISHI TERAKURA

寺倉 大史

Media Consultant / Business Producer

業界歴9年以上。事業開発、オウンドメディア、コンテンツマーケティングを担当。藍染職人、株式会社LIGを経て、メディアコンサルタントへ。

担当領域の
サービス

  • コミュニケーションプランニング
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